ロシア基礎概要



 
 ロシアはユーラシア大陸の大半を占め、その国土の広さは1,707万5400平方キロメートルを有し、日本の45倍
の広さを持つ世界一広大な国です。
 ヨーロッパとアジアにまたがる東西に伸びた国土は、地球を半周するほどの広がりを持ち、東と西では10時間
の時差があります。

 ロシアという国名は、現在のロシア北西部とウクライナ、ベラルーシの地域を古名でルーシと呼ばれていたこ
とがその語源になっているといいます。
 862年にヴァイキングと呼ばれるノルマン人のリューリクが、交易都市ノヴゴロドの公になり、その一族が次第に
東スラヴ人居住地域に支配を広げていく中で、国家が形成されていきました。
 リューリクの一族はルーシ族といわれ、これはスラヴ人がノルマン人に対して用いた呼称で、彼らが居住したと
ころをプロシア(プロセイン)ともいいます。

 その後ロシアは波乱に富む歴史の中で、戦争や侵略を繰り返しながら、強大な君主国家へと成長していきま
す。
 ヨーロッパからアジアの太平洋岸にいたる大帝国を築いていくなかで、民衆は過酷な労働と苦しい生活を強
いられてきました。

 20世紀を迎えた1917年、レーニンを中心とする革命家たちの手によりロシア革命が起こり、長らく続いた帝政
は崩壊していきます、人を働かせて富を独り占めにする資本家や、貧乏な人たちがいなくなる平等な社会の建設
を旗印に、世界で初めての共産主義国家であるソビエト社会主義共和国連邦が樹立されていきました。
 新しい国家は人民の名の下で、政府がすべての財産を所有し、国民生活のあらゆる面を統制するようになりま
す。
 政府は富を公平に分配し、国民の生活水準を向上させるという国民への約束は守られず、民衆の暮らしは一向
に改善されませんでした。

 その後レーニンに次いで実権を握ったスターリンは、30年間にわたる長期間を抑圧的な政治で統制し、ソ連は
次第に農業国から工業国、そして軍事大国へと変貌していきます。
 ソ連は計画経済のなかで国家を運営してきましたが、1970年代中ごろになると資本主義国家との経済格差が
目立つようになっていきます。

 1985年にミハイル・ゴルバチョフがソ連の指導者になり、経済改革と民主化に取り組みますが、民衆の間には長
い間民主化を封じ込めてきた共産党に対する不満や、民族問題などが噴出するようになり、ソ連の影響下にあっ
た東ヨーロッパの共産主義政権が次々に崩壊して行き、1991年の夏、ソ連解体を食い止めようとする共産党保守
派がクーデターを起こします。
 しかし、ロシア共和国大統領であったエリツィンはこれを抑え、その年の暮れの12月、ついにソ連は解体へと向
かいます。

 ソ連が解体されると、共産党の旗であった「赤旗」に代って、旧ロシア国旗が復活してきました。また、ソ連を構
成していたウクライナ、ベラルーシ、モルドバ、カフカスと中央アジアの国々、そしてバルト三国などもそれぞれが
独立し、バルト三国以外のロシアを含む12の国々がゆるやかに結びつき、独立国家共同体(CIS)を結成します。
 またロシアはソ連崩壊後、国力の強化と社会の安定を目指してソ連に属していた共和国の一部とともにロシア
連邦を結成していきます。

 ソ連崩壊によってロシアの国民はようやく自由や、権利を享受できるようになりましたが、その反面共産主義
の下では国が仕事から住宅まで用意してくれていましたが、ソ連崩壊後は生き残るための競争が始まりました。
 国としての経済の仕組みも、それまで国家が生産や流通を管理し生産手段を共有する計画経済から、企業が
自由に活動できる市場経済に移行し、土地は国家のものから個人のものになり、農民が独立し、企業も国営から
民営に変わっていく中で、ロシアの財政危機が起こってきました。
 それにくわえて犯罪や汚職が氾濫し、ロシア経済は破綻寸前の状態に陥っていきます、さらに連邦からの離脱を
求める共和国が中央政府と対立し、内戦までが起こってきました。

 そんななかで国内の改革は進められ、外国からの援助なども手伝って、現プーチン政権になってから原油価格
などの高騰も後押しとなって、世界有数の産油国であるロシアは、経済的にも政治的にも安定を取り戻してきて
います。
 2006年7月には、サンクトペテルブルクにおいてロシアが初の議長国となり、G8(先進国首脳会議)が開かれ、
プーチン大統領は世界に向けて、大国ロシアの復活をアピールいたしました。

 日本から一番近い外国であるロシアは文字通り隣人の国です、ロシアには豊富な天然資源が眠っており、エネ
ルギー資源を外国に頼らなければならない日本にとって、今後ロシアとの関係はますます重要になっていくでし
ょう。
 しかし、日本とロシアの間にはいまだ領土問題を抱えており、平和条約も締結されていないのが現状です、今
後ロシアにとっても対極東アジア経済は重要な位置を占めるものと思われます、一日も早く両国政府が平和的
な話し合いにより、領土問題解決、そして平和条約の締結を結ばれんことを願うのみです。


      
 国   名 正式名称は、Российская Федерация(ラシースカヤ フェデラーツィヤ)。
日本語表記は、ロシア連邦。
英語表記は、Russian Federation。
ロシアの国名は、ピョートル大帝(18世紀初頭)が自国をロシア帝国と称したことにより、正式の 国名となった。
 首   都
モスクワ。
キエフ公国のユーリー・ドルゴーキーが1147年、この地に初め て砦を築きました、それが後のロシア帝国の起源となる、モス クワ大公国が起こっていきます。
1712年に、サンクトペテルブルクに首都の座を奪われますが、 ロシア革命の後、ソ連によって1918年、再びモスクワが首都に なりました。
現在のモスクワは、人口約1200万人を数え、世界有数の大都 市へと発展し、ロシアの政治・経済の中心でもあります。
またモスクワは東京と姉妹都市にもなっています。
モスクワの「クレムリンと赤の広場」は世界遺産にも指定され ており、そのほかにも市内には「コローメンスコエの昇天教 会」「ノヴォデヴィチ修道院の建造物群」などが世界遺産とし て登録され、文字通りモスクワは世界遺産の都市でもありま す。
 国   土
国土の面積は17,075,400平方キロメートル
ロシアは世界一広大な国であり、その広がりはヨーロッパの東から、アジアの北側 にまで及ん でいる、その広さは日本の面積の約45倍の広さがある。
国土の51%は森林地帯になっており、12%が農業用地、12%が湖、池、沼。2 5%がその他の土 地となっている。
また国土の約70%が極北地方で、北極付近の地域にあたる。
ロシアの国には約2,000,000の湖があるとされ、その中で最大の湖はバイカル 湖である、広さ は31,500平方キロメートルで、日本で一番大きい琵琶湖は670 平方キロメートルであるから、琵 琶湖の47倍の広さになります。また世界最大のカ スピ海にもロシアは面しています。.
ロシアの国境線の長さは、58,000キロメートルにも及んでいます。
日本の宗谷岬とサハリンの最南端の岬の間は、43キロメートルしかなく、日本から 一番近い外 国になります。
 人   口 2005年の総人口統計は142,893,540人となっていて、これは世界で7番目となります。
しかしロシアも年々人口が減少傾向にあり、1992年以降に出生率が低下していることと、男性の 平均寿命が58歳11ヶ月と女性の平均寿命の72歳4ヶ月と比べ、極端に短いことがあげられまロ シアの国土面積は1707万5,400平方キロメートルで、世界一広大な国です。
その広さは日本の国土の約45倍、世界で5番目に大きな国、ブラジルの2倍以上の広さがありま す。
地球の陸地の総面積は148,890,000平方キロメートルですから、なんと地球の陸地の1/9を占 めていることになります。
ロシアの東側にあるカムチャツカと、一番西にあるカリーニングラードでは、その時差が10時す。
これは1991年にソ連が崩壊してから、生活していくための不安から、出生率が低下したことと、 男性は失業率が増え、それに比例してアルコールに依存する人たちが多くなり、そのアルコール が原因で男性の寿命が短くなっているとの指摘があります。
 民族構成 ロシア人が81,5%と最も多く、次いでタタール人3,8%、ウクライナ人2,9%、チュバシ人1,2%と なっており、その他にもチェチェン人や、イングーシ人など100以上の民族で構成される。
ロシア民族は東スラブ族に属する民族をいいます。
 宗   教


ロシア正教、イスラム教、ユダヤ教、ラマ教、仏教など
 言   語 公用語はロシア語。
ロシア語の表記にはキリル文字を使用している。
ロシア語は国連の公用語のひとつとしても採用されており、ロシア語を話す人口は2億8500万 人いるといわれており、ロシア以外でもベラルーシ、カザフスタン、キルギスタンではロシア語が 公用語になっている国があります。
 通   貨
ルーブル(RUB)
補助通貨はカペイカ、1ルーブルは100カペイカ。
 国家元首
大統領制をとっている
現大統領 : ウラジーミル・プーチン
1952年10月7日レニングラード(現サンクトペテルブルク)に産
まれ
1975年現サンクトペテルブルク大学法学部(当時のレニング
ラード大学)を卒業後、ソ連KGBに入る。
16年間のKGB勤務後、90年にサンクトペテルブルク市長の顧
問となる。
91年、サンクトペテルブルク市の対外関係委員会議長
94年、同市の第一副市長
96年、モスクワに呼ばれ大統領府総務局次長
97年、大統領府副長官兼監督局長
98年、大統領府副長官
98年、連邦保安局(FSB)長官
99年3月、安全保障会議書記を兼務
99年8月、エリツィンの指名で首相に就任
99年12月、大統領代行
2000年3月より、大統領に選出され現在に至る。
 政治体制 共和制、連邦制(共和国や州など88の構成主体からなる連邦国家)
 議   会 連邦院(上院)と国家院(下院)の2院からなる、連邦議会
連邦院(定数178名)、国家院(定数450名)
 主要産業 鉱業(石油・天然ガス・石炭・鉄鉱石・金・ダイヤモンド)・鉄鋼業・機械工業・化学工業・繊維工業
 経済成長 99年から右肩上がりの経済成長が続いており、05年までの平均成長率は6,7%
06年の経済成長率は6.7%を記録し、8年連続の経済成長を遂げている。
 G D P 7652億米ドル、国民一人当たり5332米ドル。
 国際番号 7